店主について

杉本うさぎ【本名:杉本正太(すぎもと しょうた)】
1987年
6月13日誕生 3666g
2000年
中学でバスケットボール部に入る。熱血の顧問に指導を受ける。顧問の座右の銘は「人生は掃除だ」
バスケ以外のこと、挨拶や掃除、生活態度など大切なことを多く学ぶ。
キャプテンになるも、あまりのプレッシャーに円形脱毛症になる。このころからメンタルが弱かった。
2003年
受験に奇跡的に成功し、国立の高専へ。ものづくりが好きだったことから建築学科に入学。
中学時代に厳しい教育を受けていたのに自由な校風になったことによるたるみが顕著になり、髪の色を自由に染めたりピアスに手をだす。入学できたことの慢心から勉学もあまり頑張らず落ちこぼれになる。
2006年
一人暮らしを始める。お金がなかったので、実家から送られてくる米を食いまくる。ご飯をおかずにごはんを食べるようになる。
ゼミの選択で、環境系を選ぶ。堆肥づくりや畑作りを学ぶ。学校内に井戸を掘ることに成功。人生で初めて新聞に載る。
研究で兵庫県のため池の保全活動を開始。ため池にどっぷりハマる。この頃から二次的な自然に興味を持つ。
2008年
ため池にどっぷりはまってしまったことから、高専卒業後も同じ学校の専攻科に入学し直す。引き続きため池にどっぷりハマる。
将来のこととか考え始める。環境を専攻していたので、環境の保護保全に関わる仕事がしたいと思うようになり、学会でレンジャー(自然保護官)という職を知り目指すようになる。
20歳で中型二輪の免許を取り、HONDAのshadow400を購入。バイクにハマる。維持費がカツカツになり、中華料理屋でバイトを始める。キッチンでラーメン作りや餃子を焼いたりする。この頃から料理にハマる。
2010年
大学院に進学のため北海道に移住。これまで工学系の学校に通っていたのに、環境の保護には人を動かす必要がありそのためには社会学を学ぶ必要があると感じ、文学研究科を選択。これまた奇跡的に受験に成功し国立大に進むことができる。
大学院では、里山の保全にハマる。この頃から国家公務員を目指し、勉強を始める。
2011年
憧れのキャンパスライフと北海道という土地に魅了され、遊び呆ける。研究をあまりしてこず、修了間際になって焦り始める。指導の先生の優しさもあり、なんとか修論完成にこぎつける。
国家公務員試験に学科試験で落ちる。これまで受験には奇跡的に順調だったので、初めて挫折を知る。ろくに就活とかしてなかったので、真面目に焦る。でもなんとかなるかの精神で現実逃避するようになり、ニコニコ動画とマインクラフトにハマる。ニコニコでは動画投稿や生配信をするようになる。
2012年
大学院修了間際の3月に就職が決まる。非常勤の国家公務員でレンジャーの補佐をするアクティブレンジャーという者になる。奈良県に移住。
初めて田舎という環境で生活するようになる。まともな賃貸もなく、町営住宅に住むが、本当にボロボロで、床が腐って抜けそう、大量の虫と共存、熱湯か水しか出ずシャワーも浴びれない、台所にはいくら綺麗にしてもウジがわく、暗い、汚い、山あいで日照時間が少ない住宅だった。しかしあんまり気にしない性格であることを知る。
仕事で登山技術が必要だったため、山登りを始める。中学時代のバスケのトレーニングのおかげで下半身は頑丈だったため、登山を楽しめる体力があることを知る。
仕事の一環で山岳ガイドなどもやる。元々植物等の知識がなかったので、詳しい人に山に連れて行ってもらい、必死で勉強する。
この年は仕事を覚えるのに必死で、公務員試験は受験せず。なぜか周りから受けなかったことを咎められる。
2013年
自宅で飲むコーヒーがインスタントからドリップコーヒーに変わる。ドリップコーヒーに必要な器具を買い集める。この頃からコーヒーにはまり、美味しいお店を探し、コーヒー豆を買い漁ることになる。
はじめての一眼レフカメラを買う。
2014年
人生のお師匠さんと呼べる人に出会う。物事に対する価値観がガラッと変わる。なにもない生活の豊かさを知る。田舎で生活することの極意を学ぶ。国家公務員になってバリバリ仕事をすることを目指していたが、そこに疑問を持つようになる。
しかし、周りの期待もあり、公務員試験は受けることになる。しかもなぜか総合職でパスする。腹をくくって憧れだった国家公務員になる。
年度の途中だったが、非常勤でいる必要はないという理由から内定が決まってすぐに上京する。初めての東京暮らし。綺麗なマンション、なんでも揃う街、人混み、満員電車、24時間あいている店、星が見えない夜空、生活が一変する。
上京するタイミングで5年間付き合っていた彼女と別れる。
浅草で着物一式を揃える。この頃から和服にハマる。
2015年
月の残業時間が200時間を超える。それを異常と思わない異常事態になる。
仕事でミスを連発する。この頃に発達障害と気づいていれば後々多少は楽になったかもしれない。
満員電車で酸欠になり気を失う。東京の生活はいつまで経っても慣れないなと実感する。
喫茶店巡りが激しくなる。毎週末都内の喫茶店を探訪。
2016年
転勤により仙台に移住。やっと東京から解放されたと胸をなでおろす。
冬の雪山に備えて四駆の車を購入する。東北6県の喫茶店巡りにハマる。
冬の到来を待たずに、再び転勤。11月に西表島に移住する。
もう年末だというのに半袖で過ごせる気候に驚く。
2017年
西表島には自家焙煎のコーヒーショップがないことに気づく。もちろんコーヒー豆を売っているお店などない。週末になると石垣島にコーヒー豆を買いに行く生活になるも、石垣の豆もあまり口に合うものがなく、自分で焙煎することを決意焙煎機gene cafeを購入する。
仕事が多忙を極める。加えて発達障害により仕事がまったく進まず、ほぼ職場で過ごすことになり、焙煎機を購入したものの、ゆっくり焙煎している暇などなく、ペットボトルのコーヒーで妥協する生活になる。
仕事が多忙であることに加え、職場の人間関係も悪化し、睡眠障害になる。
仕事の規模が大きすぎて、自信を失う。
2018年
職場の人間関係を悪化させていた膿の排出に成功するも、時すでに遅し、幻聴が聞こえるようになる。
人生で初めて心療内科へ。発達障害が疑われるということ、うつ状態であるということが診断される。発達障害の薬ストラテラを処方される。ストラテラを服用してみて、健常者の脳みそってこんなにスッキリしてんの?ずるいと思うようになる。と同時に自分が発達障害であることを確信する。親に電話して、小さい頃のエピソードを聞き発達障害と思われる言動があったか確認する。疑わしきエピソードがどんどん出てくる。その後、精密な検査を受け正式に発達障害であることが診断される。
西表の職場には正職員が私1人しかいなかったため、休職することができず移動願いを提出する。
7月に那覇市に異動。周囲のサポートもありなんとか休職しないで職場に通うことができる。自分自身と仕事への向き合い方について真剣に考えるようになる。この頃から喫茶店の開業を意識するようになる。
那覇市に引越し後、最初にいった心療内科と肌が合わず、通院を辞めてしまう。薬も自分の判断で断薬してしまう。1月ほどはなんともなかったが、生きづらさを感じるようになる。12月に急になにもやる気がなくなってしまい、うつの波が襲いかかってくる。再び心療内科に行くことを決意し、うつと発達障害の面倒を見てくれる医者を探す。とてもいい先生に出会う。
2019年
5年前に別れた彼女と再会を果たす。5年のブランクを感じさせないぐらい自然に会話ができることに運命を感じる。やり直すことを意識し、付き合い直すぐらいなら結婚しようと思い結婚を申し込む。即時に快諾を得る。
両親への挨拶や結婚の話が進むにつれて嬉しいことが多すぎて感情のコントロールができなくなってくる。突然理由もないのに涙が止まらなくなり、生きていることへの罪悪感が襲ってくる。人生最悪のイベント、うつ病の最悪化が始まる。なにもすることができなくなり、人の目線が怖すぎて外に出ることもできず、食事もろくに摂れず、死ぬことを意識するようになる。なんとかやる気を振り絞り、心療内科に電話。すぐに来てと言われ病院に向かう。向かう途中の車の中は嘔吐と涙でぐちゃぐちゃになる。すぐに休職することを言われ診断書が作成させる。その日の内に職場に伝え初めての休職。一人で過ごすことは心配なので、入院か実家に帰って親と過ごすよう言われる。婚約者がいることを医者に伝え、婚約者のいる和歌山の家に転がり込む。11月休職中に入籍。妻の家で過ごしながら療養を取り、少しずつ回復する。2ヶ月で復職。
障害者手帳3級を取得。
この頃から公務員を辞めたいと思うようになる。
2020年
転勤で大阪に移住。同じタイミングで妻も大阪に異動の予定だったがコロナの影響で一人大阪で暮らすことに。週末婚が始まる。
エスプレッソに興味を持ち始め、エスプレッソマシーン(la pavoni)とエスプレッソ用のグラインダー(EURECA)を購入する。フルサイズの一眼レフも購入する。
再び死にたい気持ちが襲ってくる。仕事に対するやる気も完全に削がれてしまい、再度休職を始める。
妻の異動が決まり、同居が始まる。
休職中に喫茶店開業の目標を実現したいと強く思うようになる。
屋号を「うさぎ珈琲」とする。
HPを開設し、SNSを始める。カフェの学校に通い始める。
2021年
公務員を辞めて転職する。
将来的に持ちたいお店のコンセプトとして福祉に力を入れたいとの思いから、転職先は福祉系の会社に勤める。
珈琲豆のネット販売を開始する。
ヨガスタジオの受付のスペースを間借りして、土日だけ営業の店舗営業を始めてみる。
福祉系の会社に転職するも、会社の考え方が私の感性に合わず、鬱を再発。3ヶ月で退社。
実店舗営業も鬱の状態で続けることが難しいと判断し、契約解除。
貯金を切り崩す生活となり、金銭面の困窮から障害年金を請求。
貯金の底が見えてきたため、某コーヒーショップチェーン店でバイトを始める。
妻のお腹に命が宿った事を知る。
2022年
昨年請求した障害年金が通り、首の皮一枚つながる。
某コーヒーショップチェーンでのバイト中、マルチタスクで脳みそがオーバーヒートし卒倒する。
脳神経外科を受診するも脳に異常はなく、ストレスに因るものと判断され、それを機にバイトをやめる。
子供が産まれると支出が増えることを見込み、就職活動を開始するも出産に間に合わず。
息子が誕生する。
家族3人での生活が始まる。
コリン性蕁麻疹を罹患する。
2023年
息子が保育園に通い始める。
円形脱毛症が完治。