あなたがあなたの人生の主人公であるように
他人も他人の人生の主人公を生きている。
どちらが優れているとか、
優先的とかはなく
等しく価値がある。
あなたの意見は他人の意見と同じだけ重要なのだから、
相手の顔色を窺って意見を変えるようなことはしなくて良い。
そもそも主人公とは?
テレビドラマや物語、ゲームなどの主要な登場人物「主人公」
元々は禅宗の言葉でした。
唐の時代、瑞厳(ずいげん)という禅師がいました。
瑞厳禅師は毎日座禅を組んで、自分に対し「主人公」と呼びかけ、「はい!」と自ら答えていました。
こうすることで、自分自身に迷いはないか問いかけその答えを見つけることで自分自身と向き合っていたと言われています。
人生のハードルを下げてみる
うつ病になってからというもの、はじめの内はなにもする気が起きず寝てばかりいましたが、回復期になってからは治すことばかりを考え焦っていました。
当時の私は【うつ病を治す】=【うつ病になる前の自分に戻る】ことだと思っていました。
うつ病になる前は国家公務員として国の事業に従事し国民のために汗水垂らして働いていた訳ですから、同じ熱量でまた仕事をして充実した人生を歩むんだと、それを目標にうつ病と向かい合っていました。
しかし、一向に以前の体力・気力は戻ってきません。どんなにカウンセリングを受けても、どんなに薬を飲んでも、気分の落ち込みこそ少なくなったとは言え、全く以前のように活力が湧いてくることはありませんでした。
ある日ふと、人生のハードルを下げてみることを考えるようになりました。
以前の私はバリバリ仕事をして地位を得て、たくさんお金を稼ぎ、趣味に勤しんで、家族と過ごし、子供を育てて素敵な老後を迎えるそんな人生の物語の主人公だと思っていました。
この日本という舞台装置で流れる物語の主要な人物として主人公を歩むものだと思っていました。
しかし、ハードルを下げてモブキャラにもモブキャラとしての人生があってそれなりに楽しい思いしているよなと思うようになりました。
そこから私にとって【うつ病を治す】=【うつ病患者なりに楽しい人生を送る】と定義し直したところ、随分と気分が楽になったのを覚えています。
主人公も様々
テレビドラマや物語、ゲームの中でストーリーの軸を歩む主要な人物、それだけが、主人公でしょうか。
瑞厳禅師は自分に問いかける自分こそ主人公と言われました。
だとしたら、物語の主要な人物にちょっと助言をしたり、特に意味のないキャラクターもそのキャラクターの視点に立ってみればそれぞれが主人公と言えるのではないでしょうか。
物語は読み手聞き手にストーリーが上手く伝わるよう、登場人物に役割の大小こそありますが、この世界において日本において、登場人物、すなわち一人一人の人生に優劣はありません。貴賤もありません。みな平等のはずです。
ただ、人生においての目標がそれぞれ違うだけ。大きく社会に貢献する人もいるでしょう。歴史に名を刻む人もいるかも知れません。
しかし、そんなことは私にとってみればどうでも良いのです。
私の人生の最大の目標は残りの人生を私なりに、できる限り楽しく生きることなんですから。
じゃ、仕事も変えてしまいましょう
杉本うさぎ物語の目的が変わってしまったのなら、公務員を続ける理由なんてありません。
大好きな珈琲を仕事にしてしまいましょう。
コーヒー豆の焙煎、楽しいです。いろんなコーヒーを飲んで自分のお店で出す商品を考えるの楽しいです。商品を発送して美味しかったと感想をいただけるの何より楽しいです。
楽しむことが大事なのですから、儲からなくても構いません。有名になって数多の珈琲屋から羨望の眼差しを受けるなんてことも、必要ありません。
楽しんだもの勝ちです。もっと楽しむためにもう少し仕事(注文)は欲しいところですが、それを目標に地道に頑張ることもまた楽しいと思えるようになりました。
これが、うつ病になった私にとっての新しい物語のストーリーです。
私に取ってみれば第二幕といったところでしょうか。
人によっては何回も物語の目的が変わってもいいと思います。
今楽しめることを今やりましょう。
楽しむことを第一目標に人生のやりがいを見つけましょう。
大きな目標を保つ必要はありません。モブはモブなりに、楽しい人生を送ればいいのです。
まとめ
周囲の人の目を意識して、無理をしたり嘘をついたりして、自分自身を見失っては意味がないのです。
うつ病患者はうつ病患者なりに楽しみ方があります。
それを目指せば良いのです。
この世に生きる一人一人が主人公です。
それぞれがそれぞれを楽しみましょう。