elderly couple holding bouquet of flowers while holding hands

利他的な人、利己的な人


どうも、うさぎです。
後述しますが、先月から外出することが怖くなってしまい、最近の生活はほとんど自宅で過ごしています。理想を願えば無音の部屋の中で何も考えずにただ時間が過ぎていくだけで過ごせれば良いのですが、現実はそうはいきません。食事はしないといけないし、上階や外からの騒音に敏感にストレスを感じ心が不安定になってしまいます。
なるべく無音を手に入れるために、自宅の中でもノイズキャンセル昨日のついたイヤフォンを装着し音楽は流さずに無音を楽しんでいます。
最近のイヤフォンは少し値が張りますが本当にノイキャン機能が素晴らしいものが多いです。
私はゼンハイザーのMOMENTUM TW3を使用しています。ほぼ無音になるので重宝しております。

さて、本日は月に一度のメンタルクリニックの診察日でした。
診察はだいたい1ヶ月の生活ぶりを話しして、次の1ヶ月どのように過ごすかを相談するといった流れが多いです。
診察の前日ぐらいから、ここ1ヶ月の生活を振り返りどのような話をするか頭の中で整理するのですが、7月は外に出ることができずほとんど家の中で特に布団の上で過ごしていました。
というのも、妻が産休に入り里帰りで兵庫の義実家に帰っているのですが、2周間に1度程度の間隔で会いに行っていました。7月も予定通り二人で過ごして、また2週間後と言って大阪に帰ってきたのですが、その帰りの電車の中で座っていたら隣にサラリーマン風の初老の男性が座ってきたのですが、やけに高圧的なオーラをまとっており、怖くなってしまったんですね。心臓がバクバクなって身動きも取れなくなってしまい、キューーっと小さくなってやり過ごしていました。ストレスがすごかったので、電車を乗り換えて、別の席に座ったのですが、そのサラリーマン風の男性以外の他人に対しても恐怖心が出てしまい、心臓がバクバクなり、頭が真っ白になり、呼吸は浅くパニック状態になってしまいました。
やっとのことで目的の駅に着いて、電車から飛び降りた途端、ふぅーーっと意識が遠くなってしまい駅のホームで気絶してしまいました。

数分して目が覚めたのですが、周囲には誰もおらず、私一人でした。誰も駅員すら呼ばない状況に、もしこのまま倒れ続けていたらどうなっていたんだろうと恐怖で血の気が引くのが分かりました。
息切れしながら家まで歩き、その日はそのまま眠りにつきました。

翌日、いつもどおりに過ごそうと買い物に出かけたのですが、外に居る他人が怖くなってしまい、すぐに家に引き返しました。
それからというもの、外に出るのが怖くなってしまい、7月の初旬からずっとほとんど外出できないまま過ごすことになりました。
食事は出前をとるか、深夜にコンビニに行って食材を買い溜めし数日外に出なくても良い状況を作って過ごしていました。
当然、食生活は乱れ、それが原因かはわかりませんが、何に対してもやる気が起きず、ほとんど布団の上で過ごすことになってしまいした。

しかし、不思議なことに頭と体が軽くなり行動的になれる時間がありました。
それが妻と電話している時間とお客様から注文が入って焙煎・発送している時でした。珈琲を発送する時だけは外に出るのが怖くなくなり、普段どおり郵便ポストまで行くことができました。

とまぁ、そんな1ヶ月を過ごし、そのまま診察では伝えました。
妻が大阪に帰ってくるのは9月初旬、それまで家で安静に過ごし無理はしないでくださいと言われました。
突発的に不安が襲ってきて、それから似た状況に出くわすと不安が大きくなってしまうことはよくあることだそうです。
そんな場合は安心できる環境の中で安静に過ごすことが回復につながるとのことらしいのですが、私にとって安心な環境とは妻がいる生活、珈琲を焙煎している時間なんですよね。
なので、あと1ヶ月もすれば状況は良くなるだろうと思います。

自分なりに、なぜその2つが安心できる環境となるのか考察してみました。
私は昔からなのですが、誰かのためという理由があった方が行動しやすかったように思います。
家事手伝いはお小遣いがもらえるからではなく、両親が喜ぶから。
学業も勉強そのものも楽しかったのもありますが、テストで良い点を取ると両親が喜ぶ。
人にやさしくするとその人が喜ぶ。
自分本位ではなく利他的に行動していたように思います。
社会人になってからもそうで、我武者羅に仕事をしていたのも誰かのためがあったと思います。
この仕事をすれば、誰かが仕事しやすくなる。誰もやらないなら俺がやる。
結果、キャパオーバーになってしまってうつ病になってしまったんですけどね。

もっと、利己的に出世や昇給に貪欲になっていれば、体調管理は第一優先事項になっていただろうし、仕事量も評価される仕事を重点的にして、誰がやっても同じような仕事には手をつけていなかったと思います。そうすれば、違った社会人人生を歩んでいたんだろうなぁと今更ながら思います。

現在、私の中にある誰かのための「誰か」とは、家族友達であり、うさぎ珈琲を応援してくれている方に絞られています。
その存在のためなら、頑張れる。
その存在が喜んでくれることなら、努力は惜しまない。
私の原動力は今も昔も変わらないのだと思いました。

昔と違うのは、昔は利他的の「他」は自分以外の全員であり、中学高校の卒業文集で将来の夢は世界平和と本気で書くほどのバカでしたから。
国家公務員を目指したのも、仕事の対象が国民全体と規模が大きかったから。
でも、私はそんな大した人間ではないので、規模の大きな相手を満足させる程の実力は持ち合わせていませんでした。
体を壊し、それに気づいてからは、対象を絞って、本当に大切な人のためだけに動こうと思ったのでした。

所感ですけど、うつ病等の精神疾患になる人って利他的な人の方が多いような気がします。
自分のことは後回しで無理して限界を超えてしまうのかなぁと。

といったところで、今回はここまで。
ありがとうございました。

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