うつ病になった私の生き方

woman standing on sunflower field うつ病
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どうも、うさぎです。
就職活動にイマイチ身が入りません。焦る気持ちもあり、はやく安定した収入が欲しいと思う反面、何に対してもできる気がしないので、一歩を踏み出す勇気がなかなか出なくて、尻すぼみしてしまいます。
ゆっくり自分に適した仕事を探そうとは思いますが、うつ病になる前より、発達障害と知る前より、気にする条件が多くなりすぎて雁字搦めになってしまっています。
昔はやりたいことだけが仕事を探す条件だったのに、やりたくてやれることでかつストレスを感じにくい仕事でないといけなくなってしまいました。

さて、そんな就活中に起きた出来事ですが、話を進めていた企業がイケイケ過ぎて、話を次から次へと展開していくので心が追いつかなくなってしまい、強いストレスを浴びることになってしまいました。
久々の強いストレスに精神状態が不安定になってしまい、希死念慮が出てきて涙が止まらなくなってしまいました。
うつ病になってからというもの、希死念慮が完全に消えてなくなったことはないと思います。常に心のどこかに潜んでいて、いつもは姿を隠しているけど、ちょっと心にスキができると我が物顔で現れます。

うつ病になってからは希死念慮が常に攻撃のスキを伺っているので、スキを見せないように「生きていく理由」とか「死んではいけない理由」を常に考えて理性を保たなければならなくなりました。
未だになぜ生きていかなければならないのかは分かりません。
目的や理由がはっきりしているのであれば、それを早く達成してさっさと死んでしまいたい気持ちもありますが、そうはさせてくれないのが人生なんですね。
だから「一人でも多くの人を笑顔にしたい」とか「何かを後世に残したい」とか抽象的な生きていく言い訳を作って、生きながらえています。
死んではいけない理由は結構明白で「大事な人を悲しませたくないから」や「自ら命を断つことは、これから産まれてくる子供にも十字架を背負わせることになる」といったものです。

こういったことを一々考えないと、生きづらい人生になってしまいました。
昔はそんなこと考えたことなんて無かったと思います。やりたいことが多すぎて、未来が眩しくて、明日が楽しみで楽しみで仕方なかったように思います。
死ぬなんて選択肢はこれっぽっちもなく、生きていることに歓びを感じていたのでしょう。
きっとそれが「普通に生きる感覚」なんだと思います。

「普通に生きる感覚」も「普通に眠れる感覚」も見失ってしまいました。
死にたくてたまらない夜と、生きててよかったと思う朝が寄せては返す波のように付かず離れずまとわりついています。
仮にうつ病が寛解したとしても、この生死感からは開放されないと思います。
それどころか「生きていく理由」と「死んではいけない理由」が少しずつ増えて、どんどん息苦しくなるのではないかと思います。

その「生きていく理由」と「死んではいけない理由」が私をこの世界に繋ぎ止めるモノだとしたら、今は煩わしくも感じるけれど、それがいつの日か絆として「生きる希望」に変えることができたとしたら、この息苦しさともサヨナラできるのかもしれません。

といったところで今回はここまで。
ありがとうございました。

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