confused businessman checking time on wristwatch

誰かの期待に応えようとしなくていい。


どうも、うさぎです。

私は今、会社務めをしていない。
珈琲屋をやりたくて、公務員を辞めたわけだが、珈琲屋一本で食っていけると算段が会ったわけでもないのに、どうして辞めるという思い切った決断ができたのだろうかとふと思う。

私は両親が大好きだ。
両親の喜ぶ顔が見たくて、学生時代勉強を頑張ってきたような気がする。
特に強要された訳では無いが、両親はなにか頑張ると必ず褒めて認めてくれた。
特に父親は私に期待を寄せていたように思う。母親は特に何も言わずただただ応援してくれていた。
難関の国立高専に行けたのも、受験を頑張るモチベーションを高めてくれたのは両親だった。
国家公務員になった時も内定が決まった瞬間父親に電話した記憶がある。
立派だと思っていた父親に認めてもらいたかったのだ。

国家公務員になる前、非常勤で公務員をしていた私は鳴り物入りで国家公務員になった。
学生上がりで初めて働き始める同期とは違い、即戦力として扱われた。
社会人としてのマナーも仕事の進め方も公務員とはどういった存在かも知っていたからだ。
その分期待が寄せられた。
重要な仕事も任されるようになった。
重要なポジションへの異動もあった。
全て周囲の期待に応えるべく努力していた。

それがまずかった。

周囲からの目が怖くて、ミスは隠そうとしてしまった。
できないこともできると見栄を張った。
残業して仕事に没頭することが頑張りだと勘違いしていた。
いくら努力したところで、満たされることはなかった。
頑張っても評価されないと裏切られたような錯覚に陥った。
自分がどうしたいか、どうなりたいかというビジョンを見失っていたからだ。
全ては他人の価値観で行動していた。

そしてうつ病になった。

病気して自分を見直す機会が訪れたとき、初めて自分で何をしたいかを考えるようになった。
考えが自分軸に移った時、公務員を辞めようと決断した。
決断して、すぐに両親に電話した。
両親は悲しむだろうか。
自慢の国家公務員の息子が志半ばでリタイアしてしまうことを嘆くだろうか。
期待を裏切ることになるのだろうか。
そんな不安があった。

しかし、両親の答えは違った。
「自分の人生なのだから、人の価値観にとらわれずやりたいことをやりなさい」だった。
だから辞めて珈琲の道に進むことをすんなり受け入れられたのだと思う。

誰かの期待に応えようと頑張ることは悪いことじゃない。
むしろ素晴らしい。
だが、それが糧になれば良いが枷になれば問題だ。
自分の価値観が不在のまま、周囲の価値観だけで行動していると、空虚さだけが残る。

私達はただ自分の人生に責任を持って生きていくだけ。
その人生が誰かの期待に応えられることもあれば、そうでないこともある。
どのような結果だろうと気に病む必要はない。

誰かの期待に応えるためだけに生きるなんて、重荷であり脅迫に近い。
私達が人生を捧げて力を尽くして期待に応える相手は自分自身だけでいいと悟った。


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