うつ病寛解に向けて

aged brick with clock and coat of arms うつ病
Photo by Charlotte May on Pexels.com

どうも、うさぎです。

うつ病が発症してから丸5年が経ちました。
病状は相変わらずといったところで、数年前からあまり変化は無いように思います。
気持ちに波があり、浮いたり沈んだり。
そろそろ寛解したいなと思うところですが、寛解した経験がないので、寛解がどういう状態なのか、どうしたら寛解したと言えるか、よくわかっていません。
そこで寛解した人のエピソードを集めようと思いまして、カウンセラーが執筆した書籍をいくつか読んでみました。
それらを読んでみて自分に起きた意識の変化やこれからについて綴っていこうと思います。

うつ病の寛解とは

まず、うつ病の寛解とはどのような状態なのかについて触れておこうと思います。
うつ病の寛解に至る経緯には2パターンあることが見えてきました。
1つは、うつ病を発症した環境をガラリと変え、自然と発症した原因を癒やすことによってうつ病にかかる以前のように日常生活や社会生活が送れるようになる状態。
こちらは、環境を変えしっかりと休養することで2,3ヶ月〜半年ほどで寛解するようです。
もう1つは、自分の過去としっかりと向き合い過去を癒すことによって自分を変えていくことにより、未来に希望を持つことが出来るようになり、日常生活や社会生活を送れるようになること。
後者の方は自然と癒えることはなく、自分でカウンセリングを受けたり認知行動療法のような治療を行って初めて治るので、何もしない状態だと長引くようです。
両者に共通して言えることは寛解後もなにかしらのきっかけで再発する恐れがあるみたいですが、後者のほうが過去としっかり向き合えているので、再発しにくい特徴があるようです。

現在私は、通院こそしていますが、月1回先生と近況を話して薬を処方してもらっている状況です。
薬による治療については、例えば風邪をひいた時、解熱剤や喉の痛みを緩和する薬はありますが風邪そのものを治しているのではなく、症状を和らげてその状態で自身の免疫で風邪のウィルスを撃退しています。
うつ病も同じように薬により、うつ状態を緩和することはできますが、完全に治すには至らないとの見解があるようです。

そもそもうつ病の発症の原因とは

どうなったらうつ病と診断されるかには診断を下す医師の判断によるので、曖昧な部分はありますが、多くは、うつ状態と言われる意欲の低下や睡眠障害、食欲不振、倦怠感などが長く続くようならうつ病と診断されるようです。
では、なぜうつ状態を長引かせてしまうのか。
親しい人やペットの死去、ショッキングな出来事により、一時的にうつ状態のような意欲の低下や悲しい感情が頭を支配するようなことはありますが、通常は経過と共に日常に戻っていくことができます。
しかし、うつ病というのは睡眠不足や不規則な生活等によりストレス耐性が弱っている時に過度なストレスとなる事象が発生し、それがトラウマとなったときうつ状態を長引かせてしまうそうです。

人は過去を忘れる生き物です。記憶は曖昧になり、いつしか消えていく。そんなものです。しかしトラウマとなった記憶はいつまでも強く残ります。人によっては徐々に忘れることが出来るようで、それが出来る人は前章で書いた、自然とうつ病が治るタイプだそうです。
うつ病が長引く人は自然と癒えることはなく、きっちり過去と向き合いトラウマとなった時の感情あるいは過去への執着を手放すことでようやく寛解に向かっていくそうです。

私の場合

私は沖縄に勤務している時にうつ病を発症しました。
此度、カウンセラーの本を読むまでは、仕事が多忙で睡眠や食事もろくに摂ることが出来ず、人間関係や地域住民との軋轢もあり、なにもかも歯車が狂ったことにより発症したと思っていました。
しかし、本を読んでみて、うつ病の発症にはきっかけとなる出来事があるはずと思い、当時を思い返してみましたが、思い当たる節はありませんでした。
では、なぜ私のうつ病は長引いているのでしょうか。忘れられないようなトラウマがない場合、誰かあるいは何かに執着している可能性が高いとのことです。

しかし、思い返してみても執着するような人も思いつきません。
人に対して執着するのは、好意あるいは怒り等の思いを伝えたかったが出来ずじまいであるだとか、あの人に認めてもらいたかったのに認められなかったとか、そういった状況が言えると思います。
その執着が原因で自分はこうでなければならないとか、とっさの判断の選択肢を狭めている可能性が高く、その結果、うつ症状の状態に慣れてしまい、自分はうつ病患者という思い込みが強く、寛解に向かうことができなくなるそうです。

私の過去を知る旅路

もしかしたら執着の根っこは沖縄在住の時ではないのでは?そう感じました。
そして、そこから自分の過去を遡っていきました。
新しい記憶から古い記憶へ。
大阪→那覇→西表→仙台→東京→吉野→札幌→明石→赤穂と遡りました。
結局小学校の時代まで遡りました。

そうして見えてきたのが、小学校の時にいじめに近い状況にあったことを思い出しました。
昨日まで仲良くしていた友達から突然無視されるようになり、ひとりぼっちになった記憶でした。
唯一優しくしてくれた友人がおり、その友人に依存に近い状態になったのですが、その友人はタバコを吸ったり万引きするなり素行が悪く、父親からもうその友人とは仲良くするなと言われ絶望したこと。
母親に友達から無視されていることを伝えたら、私の普段の友達への態度が大きく偉そうに見えたから、それで嫌わたんじゃないと言われたこと。

当時幼いながら、一人でたくさん考えました。
当時の私は自己中心的で自分は人気者と思い上がっていた節があります。
母親からその事を指摘され、変わるべきは周囲ではなく自分と思うに至りました。
その日から良い人、優しい人になろうと決意し変わりました。
すると周囲の態度も徐々に変わって、小学校を卒業する頃にはクラス中の人と良好な関係が築けるようになりました。

たぶんその日以来です。
自分は良い人でなければならない。
人の期待を裏切らない人間でなければならないとずっと監視していた犯人は紛れもなく私自身でした。
そうです。私は自分自身に執着していたのです。

そこから中学、高専、大学院と進学していくのですが、なにもかも上手く行っていたように思います。
中学の時は部活のキャプテンを務め生徒会では広報委員長になり成績も上位。
誰もが落ちると思っていた国立の高専に進学が決まった時は、本当に周囲の期待に応えることができたし、それに向けて努力できた自分が大変誇らしかった。
高専では成績は中の下でしたが、落第する心配もなく、友達関係にも恵まれ、楽しい毎日を過ごしていました。
研究にもどんどんのめり込み、本当に毎日が輝いていたのを思い出します。
大学院では教授に恵まれ先輩に恵まれ、本当に学びの多い2年間でした。北海道という魅力的な土地で何処に行っても何をしてても新鮮でやりたいことに没頭する毎日でした。
そして社会人になり、吉野に住処を移し仕事に励みました。
ここでも人に恵まれ、またまだ若いのにしっかりしていると褒められることも多く、近隣の住民からは移住者の私を遊びに誘ってくれたり、時には頼りにしてくれたり、毎日が充実した日々でした。
そして東京。吉野で既に非常勤として環境省の人間になっていた私は霞が関でも多くの期待を背負い、それに応えるべく努力し、その努力が結実していった感触があります。
同期からも少し早く入省したこともあり頼られることも多く、また仲良くしてくれて、忙しいなりにも魅力に溢れた毎日を過ごすことができました。
仙台でも同じような感じで職場の人の期待に応えることが出来ていました。

人生の転機が訪れた西表。世界自然遺産になるかという重要な任務を任されて、周期の期待を背負って転勤しました。
これまでがトントン拍子に上手く行き過ぎていました。
突然職場の人間関係が悪くなり、仕事はわからないことだらけ。
世界自然遺産反対派の地域住民とも軋轢が生まれ、島内で鳥獣が交通事故により死亡すれば私が責められ、誰に助けを求めて良いのか分からず、諸先輩方からの期待にも応えられず、ただただ職場にこもって何も出来ない日々。
そんな何もできない自分自身を一番許せなかったは自分自身。
小学校の頃からずっと監視してきた自分自身が自分自身を攻撃する羽目に。
良い人でいないと。周囲の期待に応えられる人でいないと。
その強迫観念とは裏腹に実現できない自分に苛立ち、自己嫌悪。
それがうつ病発症の原因だと思うに至りました。

今後どうするか

執着していた原因がわかったところで、すぐにうつ病がよくなる訳ではありません。
過去から現在にかけて、過去を少しずつ癒やしていく時間を持ちたいと思います。
そして肩の荷がふっと降ろせたら、きっと過去の自分も今の自分も感謝と愛でいっぱいになると思うんです。
そんな日がくるまで、少しずつ前進していこうと思います。
自分で自分が許せる日まで。

といったところで、今回はここまで。
ありがとうございました。


コメント